私が開院した理由

私が開院した理由

昭和40年、接骨師の父とマッサージ師の母との
間に私、長男が誕生しました。

当時私が子供の頃は、自宅を治療室に改装したまだ小さな
自宅兼接骨院でしたので、玄関・寝室・トイレ・食事また
勉強するにもすべて居住が治療室でした。

小学校から帰れば患者さんと一緒に話をしたりお菓子を
もらったりもし、まだ物心つかない小さな頃から父母たちが
仕事をする様子を見ながら育ちました。

ですから、こうして自然に子供ながらこの世界を見てきたように思います。

しかしながら、私は接骨師になりたいと思ったことはありません。

なぜならば、こうして育つわけですから既に運命が決まっていたかのように
なりたいというよりも必然的に親の後を継ぐためにこの道に進まなければ
ならないという気持ちがあったように感じられます。

 

突然の死・・・

私がもうすぐ33歳になろうとしていた頃、突然こんなことがありました。

それは平成10年、父親が病気で56歳という若さで急に他界したのです。

私はその頃、家から離れ仙台の街で病院や接骨院で働いたり、
また経営学を学ぼうと会社で仕事をしておりました。

それは父親がまだ若いからまだまだ田舎の自宅には戻らなくても大丈夫だ。
もう少し外で自由に暮らしてみたいと考えていたからです。

 

こんなはずじゃなかった・・・

父親の突然の死に私は戸惑いました。

その時にまだ家業である生家の接骨院のことは何も考えておらず、
その頃会社で仕事していた分野も順調に進んでいた矢先でしたので
ここで辞めてしまってはと・・・。

果たしてこれから先どうしようと不安でいっぱいでした。

何もないゼロからのスタートであれば、自分なりのやり方で自由に
接骨院の仕事をできるのでしょうが、父は当時分院を経営しておりましたので
やはり父でなければだめだという患者さんが多かったと思います。

 

迷った挙句に・・・

そういう思いから、私にしてみれば偉大な父のプレッシャーに
負けそうになりながらも何とかこの家と家業を守り支えていか
なければならないと心に誓い、これからも
父親以上に患者様から親しまれる治療家になろうと志しました。

 

遠回りしたような気もしますが・・・

私が開院した理由

そうして亡き父親の後を継ぎ、とにかく無我夢中で
仕事をしていくうちにようやく少しずつ自分の目指す形になり始め、
おかげさまで3年後には建坪100坪の治療院を新築することができました。

これも回りの方々に支えられ、また亡き父親があの世から応援し見守ってくれたおかげだと思います。 私が開院した理由

そして現在も当時の思いを忘れず、志を持って毎日患者様の治療に励んでおります。

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